子供が嫌いな母からの影響
私は子供のころ、高度な肥満児でした。小学校1,2年生のころは最高で肥満度42でした。母から聞かされる毎日の悪口、愚痴、姉からのひどい暴力…おなかがいっぱいでも何かを食べることで何とかストレスを紛らわそうと必死だったのだろうと思います。
幼稚園や小学校では
「デブは仲間にいれてあげない!」
「デブはあっちいけ!」
そう言われることが多く、毎日が本当に辛かったのだと思います。でもその思いを誰かに共感してもらえるわけでもなく、自分だけで抱え込んでいました。
母はこどもが嫌いでした。
「私は子供なんて嫌いなんだよ!」
機嫌が悪いとよく言っていました。そんな母に幼稚園や学校であった嫌なこと、傷ついたことなど聞いてもらえるはずはないし、話したところで共感なんて得られませでした。
えっ!傷つくのに許可が必要!?
ある日(当時おそらく3歳)私が大泣きした日がありました。母は私を風呂場に連れて行って私の頭をつかんで顔を何度も冷たい水が入った湯舟に突っ込んだのです。今でも鮮明に覚えています。私の頭を突っ込むためにわざと湯舟に水をいれたのも幼いながらにわかっていました。隣で姉が「やめて!やめて!」と母の腕をつかんでいますが、怒り狂った母は続けます。とても傷つきました。そんな記憶があるのです。
その話を小学6年生に父にしたことがあります。

そんなことは大したことじゃない!
やったっていっても1回だろ?
根に持っていいことと、根に持ってはいけないことがある!
どんな小さな子供でも傷つくときは傷つくのです。我が家には傷つくには父の許可が必要でした。
妹は姉に殴られて当然な存在
姉からの暴力も日常的でひどかったです。暴力はいつも両親不在時や、両親が見ていないところで理由もなく殴る、蹴るというものでした。
あまりにも酷く、母に言っても意味がないので父に訴えました。

姉が妹を殴るなんてよくある話だし、そんなのは当たり前だ。妹なんだからもっとお姉ちゃんを立てなさい。仲良くするんだよ。
理不尽で意味不明でした。悲しかったです。
受け入れてもらうためのパフォーマンス
私もまた他者への共感は低く、自分さえよければいいと思っており、人と関わることは今でもとても苦手です。

私だってすごくつらいことがあっても共感してもらったことないもん!なんでほかの人の気持ちを共感しないといけないの?じゃあ、私の気持ちは一体だれが共感してくれるの?
10代、20代の頃は気が付くとそう思っていました。
そう思っていると友人や同僚、誰のことも思いやることができないので何もかもうまくいかないことに気が付いたのです。
それからいろんな人を観察しました。

- 周囲の人はこんな時、どんな反応をしているのかな
- どんな声掛けをしているのかな
- どんな対応をしているのかな
人と関わるうえでの正解は何なのかを探して、「これかな?」と思う反応、対応を真似して過ごしていました。
職場で知り合った親切な年上の方にはコミュニケーションが変な私を心配して「こういう時はああしなさい、こうしなさい」など教えていただいたこともありました。また聞ける人にはを素直に聞いていました。

私、これであってる?
周囲の意見を取り入れていくと、少しずつ受け入れてもらえるようになったのです。
でも本当は心の中で誰のことも共感していない、その場の思いやりめいた態度も、声掛けも全て自分が受け入れてもらうためのパフォーマンスでしかないのです。
まとめ
家族の心の問題を知りたかったはずが、自分の心の問題にも繋がっていました。両親の自己愛の未熟さが子供の私にまでループしてしまっている…負のループは世代間をループして娘たちにもつながってしまうのではないのか?娘たちには共感にあふれ、友人や大切な人を純粋に思いやって生きてほしい…そう思うと私の代で負のループは断ち切りたいと思うのです。



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